ここ最近――いや、もう1ヶ月か2ヶ月くらいになるんでしょうか。
ASMRにハマってます。
特にVTuverの、睡眠導入向けのASMRに。
ほぼ毎日、寝る時にイヤホンをつけてASMRを聞きつつ寝入るくらいにです。
あまり多くのVTuberのASMR動画を観たわけではないですが、だいたい20人弱の方のそれを観て、突出したクオリティを提供している方が2人います。
というところでいったんCM――ではなく週間報告入ります。
3月第4週は、依頼のイラストばかり描いていました。
いや、無理。
2年目の集大成のイラスト描きたいけど、無理です。
多少時間の余裕ができても、依頼のイラストでエネルギー使い切っているのか、描けません。
新しく描いたイラストがないから、ついに過去作を使い始めたくらいですし。
新作がない場合、どんどん過去に過去にと遡るんじゃないでしょうか。
ツイッターだって、ツイートしない期間がもうすぐ2週間になります。
最後にイラストを投稿したのは……?
だいたい2週間前。
3月10日。
前回のTRPG用のイラストの成果報告が最後です。
もう、それくらい割と忙しい……というか、例えばキャラデザのラフや一枚絵の構図をひねり出すのに必死で、それだけで1日が終わるくらいに。
つらい。
つらいです。
発想の引き出しがなさすぎる現実を痛感して、つらいです。
いや、でも、むしろ。
ここで手を抜いて粘らなかったら将来的な仕事の幅が狭まるだろうし、そうなるとやっぱり手を抜けなくて。
今はやりたいことができません。
まったく、全ッ然。
やるべきことだけに専念する以外の道がないです。
だったらもう、目先のやりたいことはさておいて、将来につながるやるべきことをこなしまくるしかないです。
とりあえず依頼の片方が4月頭あたりに終わる見込みなので、それまではたぶん集大成もお預けです。
多少余裕ができれば描き進めるんでしょうけど、完成は無理ですね。
こんなところです。
この1週間については。
で、冒頭の話。
VTuberのASMR。
他と違うな、と感じたのは、
まことさんと周防パトラさん。
正直、呼ぶとき「さん」よりも「ちゃん」の方がしっくり来る感じがあるんですけど、いや無難に「さん」にしておこう、と。
それはいいとして。
今まで見てきたVTuberのASMR動画で、この2人が突出しています。
あくまで私見ですが。
まず、音響関係。
ささやき声と効果音のバランスが絶妙。
特にささやき声、あまり小さすぎると逆になに言ってるか気になってしまうので。
効果音より大きいとASMR感がなくなります。
次、効果音のレパートリーとかバリエーション。
シャンプーとか、耳かきとか、オイルとか、吐息とか、そういう効果音のレパートリーが多い。
1つの動画で10以上あります。
とにかく単調じゃない。
効果音1つにしても、バリエーションがあって飽きません。
最近まことさんのASMRを聴いてて気づいたことがありまして。
――音に立体感、空間感覚がある、と。
ただ耳元でわしゃわしゃするだけじゃないんです。
少し遠のいたり、後頭部や側頭部の上下から聞こえてきたり、頭をまたぐように声や息遣いが動いたり。
ただイヤホンをして聴いているだけなのに、なんかすごい。
次、動画を開いてすぐASMRが始まる。
大半のVTuberの動画って、生放送をした分のアーカイブなんですけど、最初に待機時間があって。
だいたい1分そこら経ってからようやく始まるといった感じです。
長いと3分以上。
だったらASMRが始まるところにシークバーを動かせばいいだけなんですけど、人によって、動画によって、いつ始まるかはまばらで。
ASMRが始まる時間を探す。
そのひと手間すらないのがありがたい。
次、雑談が少ない、もしくは完全にない。
個人的に雑談は求めてなくて、とにかく睡眠導入のための音だけがほしい。
そういうニーズをがっつり満たしてくれています。
何人かVTuberのASMR動画を観てきましたが、結局寝る時にリピート聴きするのはこの2人ばかりで。
どうしても他の方の動画は、作業用としては聴けるけど、睡眠導入までには至りません。
むしろ、この2人のクオリティを知っているからこそ、なのかもしれませんが。
で、この2人がそう意識されているかまでは分かりませんが、配信や動画を観る視聴者をよく想定されている感じがします。
視聴者との交流よりも、いわばリラクゼーション的な時間の提供が優先されてる、みたいな。
じゃなかったら、ここまで音響関係は絶妙ではないでしょうし、レパートリーやバリエーションが豊富ではないでしょうし、ただ配信のアーカイブを上げているだけじゃないでしょうし。
ここまでニーズを満たすクオリティにはなっていないでしょうし。
提供を受ける側に対する意識があるなー、強いなー、と。
ひとり勝手にそう感じている次第です。
さて、ここまで2000文字。
もう終わりかというところで、タイトル回収します。
……蛇足だよ、って突っ込まれそうですね。
私としても、こうも長々VTuberのASMRについて書きまくった挙句やっとかよ、と思ったりしていますし。
もうASMRの話だけでいいだろって気がしてます。
が、書きたいので書きます。
むしろこの話をしたいがためにASMRのことを書いたくらいなので。
ツイッターで小説タグをやってた頃からぼんやりと、ここ最近ではよりはっきり思うことがありまして。
一言で言えば、
「その小説、読む側のこと考えて書いてる?」
時折、そんな感じの作品を読むことがあります。
もし、自己満足に書いて後で読み返すためだけに書いたものなら構いませんが。
もし、誰かに読んでほしくて書いているとしたら、読み手の視点を意識した書き方をした方がいいよね、と。
そう思うことがあります。
例えば、
・話のまとまりごとに適度に改行する
・行の最初は1文字下げる
・「…(3点リーダ)」や「―(ダッシュ)」は2つ、もしくは偶数個並べる
・漢字の使用率のバランスを取る
みたいな。
上から3つは小説の作法として言われていたりしますが、投稿サイトなんかではあまり気にされていない感じもします。
出版社の小説であれば、大多数がその形に則っているので、媒体次第かもですが。
ただ、漢字の使用率のバランス――業界用語で言えば閉じたり開いたりは適度にやってほしいところ。
ちなみに漢字の閉じる開くについて、「ここで」で例えるなら、
「此処で」が閉じる、
「ここで」が開く、
です。
漢字としての表記ができるからと、片っ端から閉じるのはどうなのかな、と。
「此処」「其処」「愈々」「漸く」「暫く」「態々」みたく、単語の読みに労力をかけさせたら、物語への没入感が薄れると思います。
なんでもかんでも閉じると言いますか、漢字を用いるのは、ある種ただの自己顕示。
つまり、「自分はこんな漢字も知ってるぞ」という知識自慢と感じることも。
ちなみに例に挙げた漢字は、「ここ」「そこ」「いよいよ」「ようやく」「しばらく」「わざわざ」です。
自作を誰かに読んでほしい、なんなら最後まで読んでほしいと思うなら。
自分の文章が読み手にどう見えるか、見られるか、までを意識して執筆をした方がいいよね、と。
少しでも読みやすい作品ができあがるよね、と。
……まあ、面白いかどうかは別だったりしますが。
ただ、面白さにしても、読み手側を意識したストーリーづくりをしなかったら面白い作品にはなりません。
結局のところ、誰かに向けて小説を書くなら。
それに限らず、誰かに向けて文章を書くとしたら。
今自分が書いている文章が、読み手にどんな風に読まれているかを意識する、想像するのは大事です。
つまり、客観視。
独りよがりになればなるほど、自分の伝えたいことやイメージって、50%どころか25%も相手に伝わらなかったりするので。
ちなみにこのブログ。
割とただの独りよがりな日記です。
読みやすい文章づくりは小説で必要になるので、トレーニングとして多少は意識したりしていますが、提供の意識はまったくに近いくらいほとんどないです。
週間、月間、年間ごとに振り返りをして、その時思ったことを書いているだけのつもりなので。
それでも記事を読んだり、スターをくれたりする方々がいるのと、「もし誰かに向けて文章を書くなら」というタイトルにしたというのもあるので、今回は感謝の意を伝えて締めくくろうかと。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
では。